春も後半、GWも終わり夏が近づいてきましたね。
羽織ものをしまい、Tシャツ一枚で外に出ることも増えてきたこの頃。
今ではアメリカや日本でも最もポピュラーな衣服と言っても過言ではないTシャツですが、そもそもこの「Tシャツ」というものがいったいどこから生まれ、どのように現在のファッションとして定着して言ったのかご存知でしょうか。
「なんでTシャツって呼ばれるようになったの?」「流行したきっかけはどんなこと?」「どんな人が着ていた?」といった疑問も多いかと思われます。
ここではTシャツの発祥や現在に至るまでの歴史、どのような人物が着て流通していったのかを詳しく説明していきたいと思います。
Tシャツの発祥はアメリカではなく19世紀初頭のヨーロッパ
諸説ありますがTシャツの発祥はアメリカではなくヨーロッパ(イギリスまたはドイツ)と言われており、19世紀初頭に肌着(アンダーウェア)として使用していたのが発祥と言われています。
その後すぐ1914年に第一次世界大戦が始まり、フランスの海兵が軍服の下に着ていた綿のTシャツ(肌着)をアメリカの海兵が真似て自作し、快適で過ごしやすい理由からのちに(1939年の第二次世界大戦ごろ)軍の公式肌着として認められます。
というのも、当時のアメリカ兵の軍服はウール(羊毛)素材で重く厚く通気性の悪いもので夏場はとても快適とは言えないものでした。
当時はまだアンダーシャツと呼ばれていたTシャツがTシャツ(トップス)として呼ばれるようになったのは1920年。
作家のF•スコット•フィッツジェラルドの「楽園のこちら側」が「Tシャツ」と表記したものが語源とされています。(シャツを広げた形が「T」に似ているため)
1930年ごろには当時下着の製造をし、現在は日本でも人気の「ヘインズ(Hanes)」が「コブ・シャツ(水兵シャツ)」と名付け、同時期に現在はヘインズの子会社である「チャンピオン(Champion)」がアメリカの大学生にスポーツウェアとして貸し出し•販売をしていました。
学生へのレンタルということもありシャツには校章や校名、番号が写されており、これがのちの「プリントTシャツ」の原型となっています。
現在ではアウターとして着用されているTシャツですが、発祥当時の1910年から第二次世界大戦のあった1940年ごろまではヨーロッパ〜アメリカでは肌着(アンダーウェア)として着用されていたのです。
第二次世界大戦終結ごろまでのアメリカはTシャツをトップスとして着ることにはまだ抵抗が残っていました。(特に中年層から上の年齢の方々)
ではどのようにアンダーウェアからトップスとして変化していったのか、その変化を話すには第二次世界大戦後のアメリカと戦後アメリカの「映画」と「音楽」のカルチャーが欠かせないものとなります。
次の見出しでは戦後のアメリカの映画と音楽がどのような影響をもたらせたのかを説明していきたいと思います。
1940年~1970年代アンダーウェアからトップスとしての変化
肌着からトップス、劇的な変化の始まりは戦後アメリカから帰還した兵士達が着ていたのがきっかけです。
国の英雄達が着るその姿は、男らしさのシンボルとして人々を惹きつけていきました。
1950年代~インナーからアウター
現在のトップス、ファッションとしてのTシャツに変化していったのは1940年代、帰還した兵士が上着を着ずにそのまま着ていたことが火付けとなりました。
戦時中にアンダーウェアとして着られていたTシャツは軍人が着用するイメージが定着しつつありましたが、後にスポーツウェアや肉体労働者のワークウェアとしても広まっていきます。
そして、カジュアルなファッションとして大きく広まったのは1951年に上映されたマーロン•ブランド主演の映画『欲望という名の電車』
1955年に上映された『理由なき反抗』がきっかけとなっています。
『欲望という名の電車』
当時のアメリカのファッションを大きく覆すきっかけとなった映画のワンシーンです。
1960年代~グレイトフル•デッドとヒッピームーブメント
1960年代にはシルクスクリーン印刷の技術も向上し(1960年以前は水彩インクが主流、1959年プラスチゾルインクが開発される)、Tシャツは政治家の名刺、環境活動家、Shop店員やヒッピー達のメッセージ、シンボルを写す広告塔と幅広く浸透していきます。
中でも1965年に結成されたロックバンド『グレイトフル•デッド』のファン「デッドヘッズ」はTシャツをより普段着として定着させる支流と本流を兼ねています。
当時『グレイトフル•デッド』のマネージメントも務めていたビル•グラハムは世界初のミュージックTシャツメーカー『Winterland Productions』を設立。
当時グレイトフル•デッドのツアーを車中泊をしながら回っていた大勢の「デッドヘッズ」と呼ばれるファン達は、販売されていたバンドTシャツの模倣品、海賊版を旅をしながら製作、そのお金で生活をしていました。
彼らの作るブートレグはファンアートとして素晴らしいもので音楽界隈でも概ね容認され、グレイトフル•デッドと彼らの起こしたムーブメントがTシャツを現在の最もカジュアルな服装として定着させたと言われています。
肌着から普段着そしてビジネスウェアへ
1960年代のヒッピームーブメントからおよそ60年、Tシャツは肌着からスポーツウェア、カジュアルなファッション、そして現在では新たなビジネスウェアとして発展していきます。
アメリカや日本でも「カジュアルフライデー」「クールビズ」と現在多くの会社が季節や精神的なゆとりの意味を含む、新たな働き方として取り組まれています。
動きやすく、馴染みやすく、手に取りやすい価格帯でありファッションだけでなく名刺や広告、表現。
大人から子供まで様々なシーンへTシャツは浸透していきました。
現在医療分野ではTシャツで体表面の電流を観測できるものや、体温や心拍数を測ることのできるTシャツも開発されています。
下着からスポーツ、カジュアル、アート、ビジネスから医療へとTシャツを通して時代は大きく移り変わり、また馴染んでいったのです。